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頭の形を、印刷する— 3Dプリントダミーヘッドで挑む、HRTFの個人化 —

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2024年度、京都産業大学 情報理工学部 伊藤慎一郎研究室にて「3Dスキャナと3Dプリンタを用いた頭部伝達関数の再現と与える音像定位感の研究」と題した卒業研究を行いました。ここでは、その内容を要約してご紹介します。

背景 — 「音に囲まれる感覚」を、その人だけのものにする

モノラルからステレオ、サラウンドへ。音響技術の進化とともに、音の表現力と没入感は高まり続けてきました。近年では、音源に位置情報を持たせて再生環境に応じてレンダリングするオブジェクトベース方式など、より自由度の高い立体音響が実用化されています。こうした没入感の高い音響は「イマーシブオーディオ」と呼ばれます。

その中でも、頭部伝達関数(HRTF: Head-Related Transfer Function)を用いたコンテンツは、より没入度が高いとされています。HRTFとは、音波が鼓膜に届くまでに頭部・耳介・胴体によって受ける物理特性の変化を、周波数領域で表現したものです。つまり私たちは全員、自分の身体の形が作り出す「固有の音響フィルター」を通して世界を聴いている、ということになります。

ところが、この個人差こそが大きな壁になります。理想を言えば、イマーシブオーディオは聴く人ひとりひとりのHRTFに合わせて作られるべきです。個別化されたHRTFを使うことで、より自然な音像定位を体験できることも先行研究で明らかになっています。しかし現実には、HRTFの測定は極めて重い作業でした。

課題 — HRTFの測定は、なぜこれほど大変なのか

HRTF測定の基本は「自由空間法」と呼ばれる方法です。無響室内で特定の方向から音を出し、マイクロフォンで各耳の鼓膜位置の音圧を測定します。精密な測定が可能な反面、次のような課題を抱えています。

  • 頭や体の動きによる誤差を避けるため、被験者を長時間その場に固定する必要がある
  • 頭部の全方向について計測するため、測定に長い時間を要する
  • 無響室や測定機器といった設備が一般に流通しておらず、個人では手が出ない

そのため現在の実用技術の多くは、複数人のデータから作られた「平均的なHRTF」や、多人数の頭部・耳介・胴体の寸法の中央値から設計されたダミーヘッドを用いています。個人に最適化された音響体験は、まだ多くの人にとって遠いところにあるのです。

この負担を、3Dスキャナと3Dプリンタで肩代わりできないだろうか。——それが、本研究の出発点でした。

提案手法 — 頭をスキャンして、印刷する

本研究では、成人男性6名の頭部形状を3Dスキャンし、そのデータから3Dプリントダミーヘッドを出力しました。手順は次の3ステップです。

  1. 3Dスキャナ(EinScan Pro HD)で頭部形状をスキャンする
  2. Blenderでスムージング・整形し、必要なサイズに調整する
  3. 3Dプリンタ(Bambu Lab X1E / フィラメント: PolyTerra PLA)で出力する

完成した3Dプリントダミーヘッド。頭部と耳介の形が個人ごとに再現されている

スキャンの現場で起きたこと

実際にやってみると、教科書どおりには進みませんでした。使用した3Dスキャナは光学式のため、光を吸収する黒い髪や眉が、そもそもスキャンできないのです。さらに、スキャン時の光線は視界に耐え難い刺激を与えます。

そこで、頭部形状を保ちながら眼球を守るアプローチとして、水泳用キャップを着用して頭髪の表面積を減らし、閉じた目の上に黒いテープを貼った状態で測定しました。キャップからはみ出す頭髪と眉毛については、霧吹き、ジェルワックス、ムースなど複数の手法を試した結果、マットなヘアジャムを使うのが最も効果的だと判明しました。ささやかな発見ですが、こうした泥臭い試行錯誤の積み重ねが、研究の実像だと思います。

特に耳の裏と耳介の奥はスキャンが難しく、入念な作業が必要でした。測定には一人あたり約20分。自由空間法の長時間拘束と比べれば、大幅な短縮です。

編集と印刷

スキャンで得られた頭部モデルには、窪みや隆起、メッシュの裏返りといった破損が散見されました。Blenderを用いて、キャップと皮膚の段差や皮膚の凹凸をスムージングで整え、同時にスキャンされてしまった衣服のメッシュを削除。首を一定の長さで水平に切り、内部を空洞化する処理を施しました。耳介の形状は音像定位に直結するため、頭部形状を損なわないよう手作業でスカルプティングしながら慎重に修正しています。

印刷では、モデルのサイズが3Dプリンタの造形可能サイズを超えたため、眉間で水平にスライスし、上下2パーツに分けて出力後に接合しました。鼻先・顎下・耳朶の垂直面にはサポート材を追加しています。出力時間は額から下が平均約7時間、額から上が平均約2時間。フィラメント使用量はそれぞれ約380gと約60gでした。複数機種を試した結果、印刷部分がある程度密閉された3Dプリンタと、PLA素材のフィラメントの組み合わせが最も安定することも分かりました。

耳の穴をどう作るか

3Dスキャナの性質上、外耳道は鼓膜の位置まで測定できません。そこで、出力後のダミーヘッドの外耳道最奥に穴を開け、円形のシリコンモールド(直径2.5cm、長さ2.8cm)を装着して外耳道と鼓膜の位置を模倣しました。ここにバイノーラルマイクを挿入すると、マイクの振動板が鼓膜の役割を果たします。耳の穴の入口からマイクまでの距離は、平均値とされる約3.0cmとしました。

実験 — 「自分の頭」で録った音は、よく聴こえるのか

作成した6体のダミーヘッドを用いて、実際に音源を録音しました。録音は大学の視聴覚心理室(523cm×342cm×207cm、暗騒音 約18dB)で実施。ダミーヘッドを部屋の中心、成人男性の平均座高に椅子の高さを加えた132cmの位置に置き、対角線方向の四隅(約59°/123°/237°/303°)の1m地点に、耳と水平な116cmと、上下13.5cmずつずらした102.5cm・129.5cmの3段階の高さでスピーカーを配置しました。

音源種は、全周波数を平等に含み高域のエネルギーが大きいホワイトノイズと、オクターブごとにエネルギーが均等で低域が強調されるピンクノイズの2種。配置4点 × 高さ3点 × 音源種2点 × ダミーヘッド6体で、計144点の音源を用意しました。録音形式は96kHz / 24bitのWAVです。

▼ 画像スロット⑤キャプション案: 録音環境。三脚上のダミーヘッドを中心に、四方・三段階の高さでスピーカーを配置

聴取実験には、ダミーヘッドの対象者のうち3名(20代男性、聴覚異常なし)が参加。アイマスクとヘッドホン(MDR-M1ST)を着用して正面を向いた状態で音源を聴き、そのつど「音源の方向(左前/左後ろ/右前/右後ろ)」「音源の高さ(耳より上/水平/耳より下)」「この音源の頭部モデルは誰か」の3項目に回答してもらいました。

立てた仮説はこうです。「対象者自身のダミーヘッドで録音した音源は、他者のものよりも、録音環境に近い音像定位感を与えるはずだ」。

結果 — 仮説は、きれいに裏切られた

結論から言えば、仮説どおりにはなりませんでした。そして音源の種類によって、知覚の精度に差が出ることが示唆されました。

指標(平均値)ホワイトノイズピンクノイズ
音源の方向の正答率61.7%46.7%
音源の高さの正答率35.0%31.7%
自分のダミーヘッドだと識別できた率30.0%50.0%

整理すると、次の2つの傾向が現れました。

  • ホワイトノイズ: 方向・高さともに正答率が高い。ただし、他人のダミーヘッドで録音した音源のほうが、方向の正答率が高かった(70.0% 対 53.3%)
  • ピンクノイズ: 全体の正答率は低い。しかし、自身のダミーヘッドで録音した音源のほうが方向の正答率が高く(53.3% 対 40.0%)、かつ「これは自分の頭だ」と識別できていた

考察 — 12kHzの向こう側

HRTFの個人差は、主に高周波数成分に現れます。日本人成人の正面方向のHRTFを比較した先行研究では、4kHz程度までは個人差が少なく、それ以上の周波数でノッチやピークが大きく異なることが示されています。ホワイトノイズは高域を強く含むため、音像定位に寄与するスペクトラルキューの帯域(4kHz〜12kHz)を豊富に含みます。これが全体の正答率の高さにつながったと考えられます。

では、なぜホワイトノイズでは「自分の頭」がむしろ不利になったのか。ここで手がかりになるのが、12kHz以上の高域です。ピンクノイズは1/fのスペクトル特性を持ち、高域になるほどレベルが下がります。つまり12kHz以上の成分が相対的に小さい。そのピンクノイズでは、自身のHRTFを知覚でき、自身のダミーヘッドのほうが定位精度も高かった。

先行研究では、12kHz以上の高域成分のみを含む高域通過雑音では、水平面の音像定位が困難になることが報告されています。これらを合わせると、12kHz以上の高周波数帯域が、音像定位の識別をかえって困難にしている可能性が浮かび上がります。ホワイトノイズは、この帯域まで強調してしまっていたのです。

以上より、個人化された3Dプリントダミーヘッドは、一概に対象者の音像定位を正しくするとは言えないことが分かりました。しかし同時に、高周波数成分を多分に含まない音源においては、正しい音像定位の知覚に寄与することが示唆されました。

なお本研究は、フィラメント素材による音波の反射特性や、ダミーヘッド内部の素材による変化は考慮せず、あくまで「頭部形状のみでHRTFを再現・識別できるか」に焦点を置いています。実験対象者は3名、音源種は2種と限られており、対象者数と音源種数を増やすことで、より明確な有用性の判別が可能になるでしょう。

おわりに — 音のとどく範囲を、広げるために

この研究の価値は、正答率の数字そのものよりも、「HRTFの取得を、無響室から個人の手元へ引き寄せられるかもしれない」という道筋を示せた点にあると考えています。3Dスキャンなら一人あたり約20分、装置は机の上に載ります。長時間の拘束も、特殊な設備もいりません。

誰もが自分の耳に合った音を聴ける未来は、まだ先にあります。けれど、その入口は確かに近づいている。そしてこのHRTFとバイノーラルの研究は、のちに福祉の現場での取り組み(Art for Well-being)へと接続していきました。音のとどく範囲を広げること——それが、いまも私の仕事の芯にあります。


京都産業大学 情報理工学部 情報理工学科 伊藤慎一郎研究室 2024年度卒業論文(2025年1月提出)を再構成したものです。ご指導いただいた伊藤慎一郎先生、そして研究を支えてくださった研究室の皆さまに深く感謝申し上げます。技術的な詳細や実験条件についてのご質問は、CONTACTよりお気軽にどうぞ。

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